tesio FOODSの始まりと今をお届け【tesio MAGAZINE005】

tesio FOODSの始まりと今をお届け【tesio MAGAZINE005】

みなさんこんにちは。

一気に寒さが押し寄せた12月のとある日。渋谷の少し外れた住宅街に突如現れるオフィスに、大好きだというパタゴニアを着て現れた男性が。

今回は、tesio FOODSの創設者である株式会社PMA代表取締役の山口善彦にインタビューを行いました。

ー どうにもうまくいかない、過去の度重なるチャレンジ ー

tesio FOODSメンバーにとってはいつも顔を合わせている代表なのに、実はあまりきちんと聞いたことがなかった質問。どうしてtesio FOODSが始まったのかをまず聞いてみました。

「そもそもtesio FOODSの母体である”株式会社PMA(以下、PMA)”は、”トータルマーケティングプロデュース”といって、企業のマーケティング課題にまつわることならなんでもお任せあれ、という会社。ですが、マーケティングは手段でしかありません。”マーケティングビジネスを通じ自己実現すると共に、より良い社会・持続可能な社会作りに貢献していきます。”というミッションを掲げているからこそ、本業であるマーケティングと、ミッションの実現にダイレクトに繋がる自社事業を作るというのは、PMAを創業した当時から経営の構想としてずっと思い描いていました。なので創業と同時に、”ガメツイくん”という、ゲームとTwitter(現:X)を掛け合わせたプロダクトをローンチしていました。ガメツイくんは、ユーザーに向けて毎週ビンゴ大会を主催するのですが、そこでのプレゼントを企業協賛で募ることで、本業ともシナジーがある形で事業を運営することができていたんです。ですが、創業から3日経った2011年3月11日、東日本大震災が起きて、世の中がそれどころじゃなくなってしまいました。それがきっかけでガメツイくんはサービス終了。実はその後にまた2つ別のプロダクトをローンチしていましたが、立ち上げたことに満足したり、メンバーに僕の熱意がなかなか伝わらなかったり…どれも長くは続きませんでした。合計で3回、tesio FOODSの前にチャレンジがあったということですね」

tesio FOODSの前に3回もチャレンジがあったとは。

「うまくいかなかった要因は、外部環境にも内部環境にも色々ありますが、1番は自分が本気じゃなかったことだと思います。アパレルプロダクトを立ち上げたりしましたが、その服は毎日着なかったし、デザイン専門学校志望者のための学校探しポータルサイトも作りましたが、プロダクトを作って満足してしまいました。だからこそ、次にプロダクトを立ち上げるなら、目的から逆算した手段としての事業であり、かつ自分が好きで本気になれるプロダクトを作ろうと思っていました」

ー 運命を変える、パタゴニアジャーナルとの出会い ー

「2020年、コロナ禍。周りの経営者が事業を縮小したり畳んだりする中、PMAも例に漏れず経営が傾いていた時期でもありました。そんな時に、アウトドアメーカーのパタゴニアが発行する”ジャーナル”という季刊誌と出会いました。これがtesio FOODSの始まりのきっかけになったんです。僕はずっと前からアパレルとしてこの会社が好きだったのですが、社会人になってからとあるマーケティングの師匠にパタゴニアの”会社”としての側面を教えてもらって以来、創業者であるイヴォン・シュイナード氏の本を読んで起業を志したり、PMAのミッション/ビジョン/バリューを定めたり、大事な局面で影響を受けていることも多いんです。コロナ禍のある日、アウトドアメーカーとしての印象が強かったパタゴニアが”プロビジョンズ”というフード事業を始めたことを知り、たまたま直営店の渋谷ストアに立ち寄って見つけた”ジャーナル”で詳しい内容を読んで、『これだ!』と思ったんです」

何を見つけたんですか?と尋ねると、「地球を救うための農法である”RO(リジェネラティブ・オーガニック)農法”について、パタゴニアジャーナルに掲載されていました。PMAにも取り入れられないかと思い、高校の同級生でピーナッツを育てている杉山(杉山孝尚さん)に連絡をすると『炭素循環農法ならやってるよ』と、まさかの回答。炭素循環農法も、パタゴニアが推奨している農法と考え方は同じで、有機肥料や化学肥料を使わずに、豆科と葉物を輪作することで土壌有機物を増やし、いい作物を作るための農法だったんです。炭素循環農法で育てた野菜を使って、何かできないか…そんなときに、同じく高校の同級生で一流の料理人である次広(次広哲司さん)とコラボしてこだわりが詰まった美味しいものが作れたら、絶対面白い!と思ったんです。閃きのまま行動したら、tesio FOODSが出来上がりました」

山口の口ぶりは、当時の閃きから来るスピード感を彷彿とさせます。「ただ、ローンチは2021年。コロナ禍真っ只中で、本業もぐらついていた中、社内で揉めたことも少なくありませんでしたし、実際売れ行きは良いとはいえず、余った白菜を加工所に売りに行ったり、在庫も残ったりして、持続可能な社会づくりに貢献するためにやっているのに、自分たちの持続可能性が危ぶまれていました」

ー tesio FOODSを通じた、思いもよらない収穫 ー

紆余曲折あって、3年目に突入したtesio FOODS。tesio FOODSを始めてみて、山口自身や会社にとってどのような変化があったのでしょうか。「人との出会い方や関わり方が変わって、思いもよらない相乗効果が生まれたのは、やっててよかったなと思うポイントでした。通常業務ではなかなか関わるチャンスがないメンバー同士が切磋琢磨したりと、tesio FOODSを通じてより会社が一丸となった感じが出てきましたね。社外においても、例えばアパレルブランドの撮影で起用したモデルさんが、tesio FOODSの存在を知り『畑に連れて行ってください!』って言ってくださったり、実際に僕たちも浜松に出向いて畑作業を行ったり、畑で内定式を行ったり…普段の仕事で出会えない人や企業とも多く出会えたり、東京で働いているだけじゃ経験できないこともできていたり、得られたものも多いなと感じています」

「あとは、tesio FOODSを通して、本業のマーケティング業務を通して関わっているクライアントの気持ちになれたのが、2つ目の変化とも言えます。クライアントの悩みを同じ目線で考えられるようになりましたし、やっぱり本業ともシナジーがありますよね」

ー 社会のために、地球のために、そして地元・浜松のために ー

「正直、まだまだtesio FOODSが地球や社会のためにできていることは少ないです。ただ、tesio FOODSのミッションのためにできることをやるのは変わらず、これまでの常識にとらわれず新たな付加価値を提供していきたいと思っています」今後の展望について聞くと山口はそう語りました。

「炭素循環農法からtesio FOODSから始まったことは確かですが、環境問題に寄与するだけがtesio FOODSの主目的ではありません。農家・加工業・販売業という6次産業化を通じて、付加価値を上げていくことで、地球のためにも社会のためにもなっていくと思いますし、ひいては僕の故郷である浜松のためにもなるんだろうなと考えています。浜松から社会や地球を変えるプロダクトが生まれて、浜松に関するインプレッションが増えると良いなと。そうやって、地方創生につながるんじゃないかなと思います」

ー 2年ぶりの待望のtesio KIMUCHI ー

この度、2年ぶりにtesio KIMUCHIが復活します。楽しみにしているお客さんに向けてのメッセージを聞いてみました。

「ここまでの語りっぷりでお察しのことと思いますが、一流の農家、一流の料理人、そして僕も含めたPMAメンバー、総員で人にも社会にも美味しいものを作り届けています。かつて様々な失敗があったからこそ、今年にかける思いはひとしおです。その思いも込みで、ぜひお楽しみいただければ幸いです」

tesio FOODS創設者 山口善彦へのインタビューでした。

様々な思いが詰まったtesio FOODSを、お楽しみに。

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